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熊本弾丸ツアー @興行場への依頼 その22


 キリ「えー、じゃあ熊本城の事を知りたい人向けに熊本城の解説を行おうと思う
 参加したい人は手を挙げろ」

 田所「はーい」

 キリ「まあそういう展開だろうな、いいだろう」

 田所「あの2人が座学をマトモに受けるとは思えないっす」

 実「うわー!ここ凄く高ーい!
 飛び降りたら絶対死んじゃうよねー!」

 ユーキ「見てよ実ー
 下にさっき前を通った神社が見えるよー」

 実「ホントだ!すごく小さく見えるね!」

 キリ「じゃあ熊本城の簡単な歴史から」

 田所「ハイっす」




 キリ「熊本城は諸説あるが、今の形が完成したのは1606年
 今から400年以上も前に建てられたものなんだ

 当時の城主は加藤清正
 この人は豊臣秀吉の家臣の一人で賤ヶ岳の戦いから頭角を現した武将だ
 加藤清正@戦国サーガ

 城造りの名人で熊本城の建築と同時に周辺の治水工事も成功させて
 領民からの支持を得て、肥後(熊本)を治めた偉大な人である


 江戸時代に入ると城主は加藤氏から、徳川氏の信頼厚い細川氏へと移った
 細川氏は熊本城を修繕・整備・開発を続け、どんどん立派な城になっていく

 城の特徴としては急な石垣で敵の侵入を防ぐ“武者返し”
 熊本城 武者返し

 多数の櫓(やぐら)も備えており、敵の動きを見たり指示を出す等の前線の拠点に
 熊本城 飯田丸五階櫓

 それ以外にも多種多様な攻撃要素も保持しております
 熊本城 鉄砲狭間
 熊本城 石落とし


 この他にも熊本城には多数の井戸がある
 これは加藤清正が朝鮮出兵の際に籠城戦で水の大切さを深く思い知った事により
 多数のものが場内に設置されたと言われている

 熊本城は別名“銀杏城”とも呼ばれている
 この由来は場内に植えられた銀杏の木からと言われている
 植えられた理由は籠城戦時に食料の確保が出来るからだとされているが
 この木は実が成らないイチョウなので後世の創作だとか…………
 熊本城 銀杏の巨木


 ただこれらの対戦争を目的とした設備が役に立つのは熊本城築城から250年後であった」




 田所「江戸時代は平和っすからね
 250年後に何があったんですか?」

 キリ「1871年に熊本に鎮台、簡単に言えば軍隊が置かれたんだ

 その6年後の1877年、意見が合わず政界から離れ故郷・鹿児島に西郷隆盛
 廃刀令・四民平等に不満を抱いた士族(元々武士だった人)に担がれ
 政府に反旗を翻す事件、いわゆる“西南戦争”を起こした
 西郷隆盛@戦国サーガ

 西郷たちが狙ったのが政府直属の軍隊とも言っていい熊本鎮台だった
 鎮台の兵隊4000人は、熊本城に入り籠城戦を敢行
 西郷軍最大人数14000人の猛攻を22日間耐え続けた

 250年物時を経て熊本城の堅牢さを思い知らされ
 実は西南戦争勃発前までは熊本城は廃城にするという話が具体化されていたのだが
 今回の件で白紙、保護する方向に変わったという逸話もある

 以上」
 熊本城内⑥


 田所「大変勉強になりました」


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